ひたすら自転車をこいでいると、よそ様の畑で「向日葵」み~っけ☆
ここぞとばかりに伸びる伸びる・・・。
黄色の花が、元気よく空を見上げていました。
そして、夕焼け空にみる向日葵も、と~ってもキレイ☆
「ふむ・・・。冷やっこ食べよ・・・」
そんな夏の夕方って最高。
ふ~今日も暑かったなあ。
7月に入ると、さすがにおてんと様も容赦してくんない。
やっとこさ、肌の白い自分に喜んでたのに、やっぱり一筋縄ではいかない様子(笑)。
夏。
私の大好きな季節。
あ~したい。こ~したい。
何もかもが、前向きに進む季節。
「いっちょやってみるか★」…なんて思えちゃう。
だからこそ、大事にしたい。
でもね・・・
小学生にとっての夏休みも、私にとっての夏休みも
基本的には、違いなし!
花火したい。浴衣来たい。海に行きたい。
いくつになっても、「夏休み」は「夏休み」なんです。
シンポジウムに参加し、今回もまた多くのことを学んだ。
そんな中、会の終了間際に衝撃的な出来事が起きた。
一人のタイ人女性が、会場で自らの苦痛の叫びを上げた。
かたごとの英語で、そして日本語で、叫び続けていた。
そう、日本政府に、そして日本の社会に。
彼女の話に耳を傾ける・・・
「私の夫はタイ政府に8回も拘束され、常に恐怖にさらされてきた。
けれど、日本政府は夫を難民として認めてはくれない。
どうしてか?!どうしてなの?!」・・・・と。
会場はしんと静まり返り、彼女の叫びだけが響いていた。
私は胸が締め付けられるような、重い感情を抱かずにはいられなかった
「これが、本当に苦しんでいる人の声なのだ・・・」と。
彼女の叫びを聞いてるのは、つらかった。
けれど、決して耳をふさいではならないと自分に言い聞かせていた。
6月20日は、「
世界難民の日」
この日は、失ったものが大きくとも、新たな人生を始めるために
多くの困難に打ち勝ってきた難民や避難民の
強い精神をたたえる日。
この大切な日によせて、6月18日、国連大学では
難民に関するシンポジウムが開かれた。
「日本における難民支援のこれから」
Perspective of Japan's Assistance for Refugees
1970年代に起こった、ベトナムの政変に伴い、大量の難民が周辺国に流出した。
これがいわゆるポート・ピープル、ランド・ピープルとして流出したインドシナ難民。
日本も1978年より、インドシナ難民の受入を実施、そして現在日本に定住する
インドシナ難民の数は、1万人を超えている。
現在、家族の呼び寄せが終了し、インドシナ難民支援事業が終焉しつつあるが。
彼らの多くが今もなお、数々の生活上の不安、親と子のidentityの問題を抱えている。
「インドシナ難民や条約難民たちが、
再び夢や希望を持つためには、どうすべきなのだろう?」
この課題を改めて考えることが今、日本社会に求められている。
決して行政だけではない。
私たち市民、民間団体、行政、そして当事者団体のネットワークを通じ、
難民の立場に立った支援を行うことが必要とされている。
そして私たちは、
彼らの可能性と価値を受けいれることを求められている。
「世界難民の日」によせて、もう一度、考えてみよう。
難民問題は本当に複雑である。
時間がかかる。けれど・・・
常に考え・・・・
できることからやっていく・・・
そうすればきっと・・・
きっと時間はかかっても解決は可能だと思う。
この日をきっかけに、多くの人が少しでも考えてくれるといい。
たまに連絡してくる。
でもそのたびに、小さな口げんか。
メールなのに・・・。電話なのに・・・。
愛想無くて、いっつもぶっきらぼう。
けど何故か惹かれる。
テレかくしなのがわかってるから憎めない。
そんなの聞かなくてもわかんだろ
この言葉に聞き飽きたな。いっつもこんな調子で口げんか。
些細なことで口げんかみたいな状態になるけれど、
やっぱり憎めない。だから余計に悔しさがこみ上げてくる。
へんなの。
初めて会って14年が経とうとしてる。
この先もこんな風に口けんかしていくのでしょう。